2012年9月9日から17日の期間で、中国の河南省と北京を旅行しました。
ざっくりとした旅程はこのような感じです。
9月9日
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[移動]西安から高速鉄道で河南省洛陽市へ |
[観光]龍門石窟 | |
[宿泊]洛陽市内 | |
9月10日
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[観光]少林寺 |
[宿泊]洛陽市内 | |
9月11日
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[観光]関林 |
[移動]高速鉄道で鄭州へ | |
[宿泊]鄭州市内 | |
9月12日 |
[観光・宿泊]鄭州市内 |
9月13日
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[移動]鄭州国際空港から飛行機で北京へ |
[宿泊]北京市内 | |
9月14日〜16日 | [観光・宿泊]北京市内 |
9月17日 | [移動]日本へ帰国 |
当記事では何回かに分けて9月11日に訪れた「関林」をご紹介します。
9月10日の世界遺産「少林寺」はコチラ!
土砂降りの雨中に関羽の首塚を訪ねる
雨を見たかい
9月11日午前9時。あいにくの雨。しかも強い降り。
しょうがない。出発しましょう。2泊した洛陽のビジネスホテルをチェックアウトしました。ありがとうございました。
やむなくタクシーを拾いましたが、なんだかんだと言われて、ぼったくられた気がします。そこまでひどい額ではなかったと思っていますが、今となってはよく覚えていません。
雨の関林
関林に到着しました。
土砂降りに近い降りだからか、関林前の広場にはほとんど人がいません。
入口には多少の人がいます。
まあしょうがない。とりあえず入りましょう。
関林の歴史
関林(かんりん、グァンリン)は関羽の首塚が祀られている「関帝廟」です。明代に創建され、清代に至っても拡張が続けられました。
さて、関羽(? – 西暦220年)とは後漢時代末期の武将です。
西暦180年頃、飢饉や悪政によって中国国内の情勢が悪化する中、「黄巾の乱」が引き金となり各地の軍閥が割拠し、後漢王朝が崩壊します。やがて魏、呉、蜀の3つの勢力がしのぎを削る状態となりました。この時期のことを特に「三国時代」と呼びます。
関羽は3つの中では最も勢力の小さい「蜀」の武将として活躍しましたが、西暦220年、湖北省荊州の麦城にて敗走中、呉軍に捕縛され処刑されました。
呉は蜀からの報復を恐れ、関羽の首は魏に送られ、魏の君主「曹操(そうそう)」によってこの洛陽に葬られました。
この細い通路は「石獅御道(シィーシィーユーダオ)」と呼ばれています。雨の廟もなかなか画になりますね。
启圣殿
雨で薄暗かったのかシャッターがブレブレになってしまいました。
こちらはメインのお堂である大殿「启圣殿(けいせいでん、チーシェンディエン)」です。
どの額も立派で、額に目が行きがちになります。
関羽のそばでは部下であった関平、周倉、王甫、量化、廖化が守ります。
金色の関羽が祀られています。
財神殿
ここは二殿である「財神殿」。関羽は現代では商売繁盛の神様としても崇拝されています。
左側が関平、右側が周倉です。
次回は関羽の奥さんの胡夫人を祀った娘娘殿、春秋殿、首塚を見学し、その後洛陽龍門駅へ行き河南省の省都「鄭州」に向かいます。