2015年の10月1日から7日の期間で、甘粛省の武威、張掖、酒泉、蘭州の4都市を旅しました。
この記事は武威編からの続きになります。武威から鉄道で張掖にやってきました。
旅の行程は以下の通りです。
10月1日
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[移動]鉄道で西安から武威へ |
[宿泊]寝台車内 | |
10月2日
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[移動]武威駅に到着 |
[観光・宿泊]武威市内 | |
10月3日
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[観光]武威市内 |
[移動]鉄道で武威から張掖へ | |
[宿泊]張掖市内 | |
10月4日 | [観光]張掖近郊・馬蹄寺石窟観光 |
[宿泊]張掖市内 | |
10月5日 | [移動]高速鉄道で張掖から酒泉へ |
[観光・宿泊]酒泉市内 | |
10月6日 | [移動]鉄道で酒泉から蘭州へ |
[宿泊]蘭州市内 | |
10月7日 | [観光]蘭州市内 |
[移動]鉄道で西安へ |
金の張掖、銀の武威
甘州張掖へ
10月3日の14時過ぎに武威駅から鉄道で武威を発ちました。
こんな景色がずーっと続きます。
日本だと海とか川とか山林、田んぼや畑があって、それ以外は住宅地や商業施設、工場といった具合で、「この辺には何もない」と言っても何かしらの用途のために存在している土地がほとんどだと思いますが、中国には本当に何もない、遊んでいる(と思われる)土地がうんざりするほど存在するのだと認識できます。
16時半に張掖駅に到着しました。
張掖駅は武威駅ほど駅舎は大きくないです。西の方に高速鉄道専用の張掖西駅が新しく建設されています。
駅と市街地は8キロくらい離れているため、バスか車に乗らないといけません。バス停は大行列。
17時、張掖市街に到着。予約していた宿に行きます。
ここなんですが、見た感じ普通の可もなく不可もなしといったホテルですが、私が予約した部屋は屋上に急ごしらえで増築された感じの、3畳くらいのベッドと小机だけの部屋でした。
屋上に増築された(と思われる)階層。とたんに安っぽい感じになっています。
トイレとシャワー室は別。安い部屋ですので何の問題もありません。値段は正確に覚えていませんが、当時で1泊1,000円くらいだったでしょうか。
張掖を街ブラ
18時過ぎ、部屋に荷物を置いてひと休みした後、外をブラブラします。
「張掖」の名は、漢書に登場する「张国臂掖,以通西域」という記述に由来します。
(匈奴の脅威のために今まで縮こまっていたけれど、いまは)臂掖(ひじと脇の下≒腕)を張れる(広げられる)ようになった、これより西域に通じる、というような意味でしょうか。
前漢の武帝の時代、将軍「霍去病」の活躍により、北方民族「匈奴」を押しやり、西域との交流の糸口を作った故事によります。
鐘楼です。
また、「金の張掖、銀の武威」という言葉もありますが、新しめのビルや道路が多かった武威の街の印象に比べると、張掖は全体的に古い感じです。
張掖が先に栄えた結果でしょうか。
炒炮(チャオパオ)を食う
張掖名物の「炒炮(チャオパオ)」をいただきましょう。人気店「孫記炒炮(スンジー・チャオパオ)」です。
店内満員、待ち人多数!
店員さんたちがでっかい鍋に向かって小麦粉のかたまりを千切っては投げ千切っては投げしています。
デーン。これが炒炮です。一口サイズに千切られた麺に醤油味のスープが並々と注がれ、卤肉(ルーロウ、煮豚)がたっぷり載っています。付け合せの昆布が面白い。
麺はレンゲですくっていただきます。あっという間に食べ終わり、スープも完飲させていただきました。
欧式街を歩く
19時、孫記炒炮を出て、欧式街に向かいます。
張掖はかつてマルコポーロが1年滞在したことで知られています。
そんなわけで、ヨーロッパの雰囲気を模した通りを作って町おこししよう、という狙いが垣間見えるのが、この「欧式街(オウシージエ)」というストリートです。
マルコポーロの像が建っています。
キリスト教というかローマ調な様式の建物が見えます。
キリスト教の教会も見えます。欧式街はそんなに賑わいは感じませんでした。夜がふけてからですかね。
20時頃、ようやく日が暮れました。ライトアップされた鐘楼がきれいです。
明日は張掖郊外の名刹「馬蹄寺石窟」を訪ねます。