2023年4月、日帰りで愛知県設楽郡にある武田信玄と馬場信春のお墓と新城市の長篠古戦場を見学しに行ってきました。
前回は愛知県北設楽郡の福田寺にて武田信玄と馬場信春のお墓を見学しました。
名古屋から日帰りするには今回の計画だとちょっとキツかった
「蓬莱泉」でおなじみ関谷醸造
4月27日の13時50分、関谷醸造にやって来ました。
東海地方在住で日本酒がお好きなら知らぬ人はないでしょう、「蓬莱泉(ほうらいせん)」を造っているメーカーです。ここ北設楽郡で蓬莱泉は醸造されています。
純米酒を1本いただきました。1320円也。
帰ってから飲みましたがうまかったです。ウヘヘ。
長篠城址史跡保存館
14時40分、新城市の長篠城址史跡保存館に到着しました。
一般的には「長篠の戦い」と呼ばれるこの合戦。
武田軍の無敵の騎馬隊を、織田・徳川連合軍が馬防柵の後ろから火縄銃で射撃して勝利するシーンを私たちはイメージしますが、この戦闘があったのは長篠城の西4キロくらいにある「設楽原(したらがはら)」という地域でした。
設楽原の戦闘での前段階に、武田軍が徳川の城であった長篠城を包囲し、籠城戦が行われていました。
長篠城が落ちる前に織田・徳川の援軍が到着し、このままでは挟撃される形になる武田軍は撤退を判断しますが、織田と徳川の軍勢を手薄と見た武田軍は騎馬隊による突撃を試みました。
それが設楽原での戦闘であり、したがって、「長篠・設楽原の戦い」と表現するのがより適切なようです。
史跡保存館を見学しました。見学料220円也。
長篠城址にはたくさんのカラフルな幟(のぼり)がはためいています。
鳥居強右衛門
鳥居強右衛門は長篠城主の奥平貞昌の家臣で、長篠籠城戦の際、岡崎城の徳川家康へ援軍を乞うための使者として、城を囲む武田軍の中をかいくぐり、岡崎城にたどり着きました。
家康も早くから武田軍の動きを察知しており、知らせを受けた織田信長の3万の軍勢も岡崎城に到着していました。
喜び勇んで岡崎城にとって返した鳥居強右衛門ですが、長篠城下で武田軍に捕まってしまいます。
「援軍は来ないので諦めて降伏しろ」と長篠城に伝えるよう強要されますが、もとより死を覚悟していた助右衛門は「もうすぐ援軍が到着するから決して諦めるな」と長篠城に向かって叫び、斬られました。
助右衛門の行動により、長篠城は援軍到着まで持ちこたえることができ、これが設楽原での決戦の勝利につながったのでした。
五平餅を食う
今日は午前中から道沿いに五平餅を売るお店を散見し、ずっと五平餅の気分になっていました。
15時30分、設楽原歴史資料館に向かう途中で五平餅を。280円也。
お餅というよりは普通のお米をすりつぶして練ったという感じのものでしょうか、これにこってりとした甘い味噌ダレがからみます。
設楽原歴史資料館
15時40分、設楽原歴史資料館に到着しました。
右の銅像は江戸末期の幕臣「岩瀬忠震」です。列強との交渉役として条約の締結に関わった人物です。
見学料は330円也。火縄銃の展示が半分以上を占めます。銃器ファンにはおすすめのスポットかと思います。
これは山岡荘八がしたためた書のようです。本物かな?
渋滞に巻き込まれる
16時20分、古戦場を実際に見たかったですが、ちょっと時間がなさそうなので諦めました。
みよし町を過ぎて東郷町に入るあたりから道が混み始め、名古屋市に入ったのは18時50分くらいでした。レンタカー屋さんに連絡して、返却期限の19時を5分くらい過ぎちゃいましたが、ギリギリ返却OKしていただきました。
危なかったです。次回は同じことはできないですね。午前中にちょっと道を間違えたり、先ほど余裕ぶっこいて五平餅を食べたりしたのが余計でした。
ここまで読んでいただき、大変感謝!
ありがとうございました!