2018年の端午節(6/16-6/18)の連休に2泊3日で甘粛省金昌市永昌県を旅した訪問記(1)です。
古代ローマ人と永昌
甘粛省金昌(ジンチャン)市永昌(ヨンチャン)県は甘粛省の中央(武威市辺り)から少し北西に位置し、西安から約1000キロの道のりとなります。
永昌には、かつてこの地に古代ローマ人が移り住んだという伝説が残っています。
史書「漢書」には、紀元前36年に行われた西域での匈奴(北方民族)討伐の際、匈奴軍に変わった姿かたちをした一部隊がいたことが記されています。
漢軍は彼らを捕虜とし、現在の永昌の辺りに住まわせました。
同じ頃の古代ローマにおいても、当時イランにあった王朝「パルティア」との交戦時、行方不明となったローマ軍の一部隊についての記録が残っています。
漢書と古代ローマの記録に残っている部隊が一致するものかどうか、現代の研究においても実証はされていませんが、古代ローマ人が移り住んだと言われる永昌のその村には古代ローマを彷彿させるような、独特の文化が残っているそうです。
まさにシルクロードのロマン溢れる逸話といった感じではありませんか。
西安から列車で13時間の旅
端午節の連休の前夜、西安駅を23時10分発車の「K169」に乗車し甘粛省は金昌市へ。
3連休の前夜とあり、帰省客や行楽客などでごった返す西安駅。
手荷物チェックに並ぶ人の列。
切符販売所です。
手荷物チェックと身分証チェックをそれぞれ終えると駅構内に入れます。
わたしの乗車するのは「K169」西安駅を発車して新疆ウイグル自治区の喀什(カシー:カシュガル)まで行ける列車です。わたしも本当はカシュガルまで行きたい!しかしカシュガルに行って帰るだけで3連休が終わってしまう!
改札が始まりホームに降ります。
寝台車は既に消灯されており、わたしも寝支度をしてすぐに就寝。
途中停車駅で乗降する乗客たちの物音で何度か目を覚ますものの、基本的にはよく寝れました。
朝6時過ぎに起床。車窓から景色を見ながら、買っておいたカップ麺とパンを食べ、その後は到着までする事はありません。
ベッドに寝転がってゴロゴロしたり窓の外を眺めてあくびなどしたりします。
上の写真のように、時折緑の生える畑が見えますが、甘粛省のだいたい中央に位置する武威に到着するまでは、甘粛の大地は黄土色の土茶けた色をしていて、作物があまり育たなそうな感じがします(あくまでイメージです)。
裕福さで言えば中国の省の中で下から数えた方が早いであろう、甘粛省のイメージを彷彿させるのです。
甘粛省のだいたい真ん中、武威駅に到着しました。
西域拡大を遂げた前漢の武帝の威がここまで到達した、という意味で「武威」と名付けられた歴史ある街です。
武威を過ぎた辺りからちょっと景色は変わり、地平線が続くゴビ灘となります。ラクダ草が点々と生えた荒野です。
こちらも作物が育ちにくい印象を受けますが、実はこの辺りに来ると祁连(チーリェン:祁連)山脈からの豊富な雪解け水により、米、麦、葡萄などの生産が盛んだったりするのです。
作物の実る肥沃な土地については後ほど見てみましょう。武威を過ぎると間もなく金昌に到着です。
正午頃、金昌駅に到着しました。
甘粛省永昌訪問記・その1
1日目・金昌駅前からバスで永昌県へ
金昌駅。駅を出ると白タクの威勢のよい呼び込みが目に飛び込んできます。いかにも地方駅の一風景という感じです。
路線バスに乗り損ない、歩いているとイスラム食堂を見つけましたのでここで腹ごしらえ。
肉野菜炒めのぶっかけ麺です。コシのある麺のモチモチ感がたまりませんね。
食後、金昌駅のバスターミナルで永昌行きのバスに乗車。かなり年季が入っています。
道路工事の影響で道が悪く、ノロノロ運転で一時間近くかかって永昌に到着。
タクシーで金山寺へ
永昌のバスターミナルから少し西に歩くとお目当ての古代ローマ人の末裔が住むという「骊靬古城(リーチェングーチャン)」を示す標識が現れます。
標識の示す通り右に曲がり北に進んでいくと、もと来た道からタクシーがやってきたので手を挙げて止めます。
骊靬古城へは20元。距離のわりにちょっと割高ですが市街地を外れるので致し方ないでしょう。
タクシーの運ちゃんの話では、骊靬古城よりもその隣にある「金山寺(ジンシャンスー)」の方が観光客も多いからまずはそこに行ってみたら、というのでそうすることにしました。
向こうにお寺が見えてきました。
この紫が鮮やかな花、なんと言う花か聞いたのですが失念してしまいました。
到着。なるほど観光バスも止まっており、それなりにお客さんが訪れているようです。
よく整備されており、ここ数年の間に建設された寺院のようです。
しかしこの金山寺、寺というだけあって仏教寺院なわけで、古代ローマとどんな関係が、、、
中央の仏殿の中にはでっかい菩薩像が鎮座していましたが、写真撮影禁止でした。残念。
寺の敷地を少し外れると、広大な畑が広がっています。
電光掲示板もありましたが、設置を先走り過ぎたのか朽ちかけています。
十字架と古代ローマって関係あるのか??
寺院の敷地内には古代ローマ人と思しき像もあり、やはり何としても古代ローマで売っていきたい仏教寺院のようです。
無理やりな気がしますが、古代ローマ様式(?)の仏殿は古今東西の仏教施設を見回しても当寺院くらいではないか、という点で希少性はあるでしょう。
お寺マニアの方なら訪れる価値はあるかもしれません。
永昌の旅の第1回はここまで。
次回はいよいよ古代ローマ人の末裔が住み着いたと言われる村を訪ねます!
甘粛省永昌訪問記・続き
全3回 その2