西安近郊にある前漢の宣帝の陵墓「杜陵」の訪問記です。
前漢第9代皇帝・宣帝
宣帝(在位:紀元前74年ー紀元前48年)は前漢の第9代皇帝で、第7代皇帝の武帝のひ孫にあたります。
武帝の晩年に発生した内乱「巫蠱の獄(ふこのごく)」により、祖父母(当時皇太子だった)、父母、兄姉みな処刑されてしまい、生後間もない劉病已だけは助かり宮廷の外で育てられることになりました。彼が後の宣帝です。
劉病已の大叔父にあたる「昭帝」が若くして崩御し、後を継いだ叔父の劉賀もすぐに廃嫡され、白羽の矢が立ったのが劉病已でした。この後継者選びには宮廷の権力争いが深く関係していたようです。
この頃、宮廷の事実上の権力者は武帝の時代に活躍した将軍「霍去病」の異母弟の「霍光」でした。
霍光は武帝の遺言で昭帝の補佐を託されて以降、政治を取り仕切っていましたが、宣帝が即位して数年後に亡くなると、宣帝は霍光の一族の排除に着手しました。霍光は国の功労者に違いありませんでしたが、その一族が権力を持ちすぎてしまっていたのです。よくある話ですね。
霍光一族を排除して権力を掌握した宣帝は法治主義に則った改革を進め、形式や伝統ばかり重んじる儒家の家臣を遠ざけました。
後漢の時代に著された「漢書」の宣帝記の項には「信賞必罰」という表現が登場します。権力者の裁量で評価をせず、常に法に照らした判断を行い、功績をあげたものには必ず褒美を与え、罪を犯したものは必ず罰するという、現代にも伝わるこの言葉は宣帝の政治が由来となっているのです。
宣帝の陵墓「杜陵」
杜陵は西安市街南東部にあります。
杜陵へのアクセスはこれまでご紹介した陵墓の中で一番簡単です。
例えば下の画像、地下鉄「青龙寺(チンロンスー、青龍寺)」の駅から525路もしくは903路のバスで南下し、「汉宣帝陵(ハンシュアンディーリン)」のバス停で降りればすぐです。バスも比較的頻繁に運行しています。
杜陵は正式には「杜陵遗址生态公园」といって付近の緑をできるだけそのままに残し公園として市民の憩いの場としても機能した場所になっています。有料(35元)ですが。
敷地内には博物館があります。周辺で出土した秦代から漢代にかけての「瓦」の展示がされています。屋根の瓦ではなく、細かい彫刻を施して壁に取り付けるなどし、高い芸術的価値を目的として造られたものが宮廷には多く存在したようです。
博物館を出てさらに進むと陵墓が現れます。
人のお墓に登るという行為は本来いけないことかもしれませんが、これだけ大きければ少しくらいいいだろう、という気になってきますね。ダメでしょうか(笑)
この陵墓が作られた当時は後世の人たちが観光地として訪れるなんてことは思いもしなかったでしょう。
陵墓の周りは緑深く、はるか向こうには夥しいマンション群が。
敷地の外には奥さんの陵墓もあるのですがそれを撮り忘れてしまった、、、
敷地の外なので無料で登れますので、35元(600円くらい)が惜しい方は奥さんの陵墓から宣帝陵を眺めるのもよいでしょう。