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【中国旅行・山西省】古代中国の皇帝と関羽の故郷(7)

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2018年12月30日から2019年1月1日にかけて、山西省の臨汾市と運城市を旅しました。

前回は運城市街で食事をし、周辺をうろうろしました。

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元日や 関帝廟で 初詣

三日目、解州関帝廟へ向かう

1月1日の8時起床、8時半に宿をチェックアウトしました。

年が明けて今日から2019年です。

昨晩は21時前に宿に戻り、23時過ぎには就寝しました。0時前後に外で花火が上がったり騒がしかった様子ですが、眠りを妨げるほどのものではありませんでした。

お雑煮とはいきませんが、熱々の肉団子のスープを朝食にいただきます。

近くのバス停から「解州関帝廟」行きのバスに乗ります。

「関羽(かんう、关羽:グアンユー)」は三国時代(西暦220年-280年)、蜀の劉備の義兄弟として長兄の劉備に仕えました。

武勇に優れ義に厚い人物として描かれ、三国志の中でも特に人気のある人物であり、現代では商売の神様として信仰の対象となっています。

解州関帝廟のそばには大きな塩湖(盐湖:イェンフー、塩が採れる湖)があり、関羽は塩の売買を仕切っていた地元の親分だったという伝説もあるそうです。

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9時過ぎに解州関帝廟前に到着しました。塀が長い、、、

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入口広場も広いです。

入場券を購入し、中に入ります。

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「解州関帝廟」は運城市塩湖区解州鎮解州村にあります。

隋代(西暦581年-618年)の創建とされています。清代に火事で被災したことにより(1702年)、大部分はその後再建(1713年)されたものです。

現在、関羽を商売の神様として祀った「関帝廟(かんていびょう、关帝庙:グアンディーミャオ)」は華僑の人々により、中国国内のみならず世界各地に存在します。

中国では三大関帝廟として、

  • 山西省運城市「解州関帝廟」
  • 湖北省荊州市「荊州関帝廟」
  • 河南省洛陽市「関林」

が有名です。

この解州関帝廟は関羽の故郷にある関帝廟として、最も規模の大きいものであります。22万平米あります。

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見事な木の彫り物です。頭上に掲げられている「忠義千秋」の額も目を惹きます。

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額がかっこいい

お堂に掲げられている額が印象的でした。

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結義園

結義園の入口。結義園は関帝廟内の南方に位置し、1620年に創建された庭園です。由牌坊、君子亭、結義亭などの建物から構成されます。

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やはり額に注意を惹きつけられる人は少なくないようです。

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関羽の一生のダイジェストを描いた画。

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崇寧殿

解州関帝廟の主殿である「崇寧殿(崇宁殿:チョンニンディエン)」。北宋の第8代皇帝「徽宗」が関羽に「崇宁真君(チョンニンジェンチュン)」という号を与えたのが由来です。

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「神勇」。この額もいいですね。青い色のバックもいい。

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絵になる佇まいですね。

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猫は寒かろう。

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人間関羽

左から楊儀、趙累、王甫の像です。

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楊儀はもと魏の曹操に仕えていましたが、関羽を慕い蜀に下ります。後年諸葛孔明に取り立てられ出世しましたが、孔明の死後権力闘争に破れて左遷され、自害します。

趙累は荊州(いまの湖北省)の都督(軍司令官)として劉備に仕えていましたが、敵の呉軍に追い詰められた関羽とその最期まで同行します。

王甫は史実では目立った記述のない人ですが、三国志演義において関羽の補佐として従った文人で、関羽へ様々な進言をしますが、関羽はこれをことごとく退けたことが遠因となり、関羽は悲惨な最期をたどります。王甫は関羽が呉軍に処刑されたことを知り、関羽の後を追い自害します。

今日、実際の関羽の人物像がどのようであったかは現代では知るよしもありませんが、現代の中国でも広く親しまれている三国志演義においては、義兄弟の契りを終生守ったり、自軍が不利になることも厭わず、かつて敵から受けた恩を返したりして義理を果たす一方、義兄弟以外の人間には尊大に振る舞い、そのことが彼に最悪の結末をもたらす、という描かれ方をしています。

聖人君子とはむしろ逆の、人間くさい男の生き様です。

こうした生き様をした関羽が現代において神様として信仰され、敬われていることは、なんとも面白く、興味深く思います。

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次回、関羽のご両親も祀られている「常平関帝廟」を参拝します。

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