2011年10月、シルクロードの街として有名な観光地「敦煌(とんこう)」を訪れました。
前回は敦煌駅に到着後、ガイドさんと運転手さんと合流し「鳴砂山」を訪ねました。
世界文化遺産「莫高窟」
敦煌の街を歩く
鳴砂山の次は「莫高窟(ばっこうくつ)」を訪ねます。そのまえにホテルにチェックインして荷物を置いてきます。
4つ星ホテル「飛天大酒店」。今日、明日と2泊する予定です。
莫高窟に行く前にお昼ご飯にしましょうということで、ガイドの張さんと運転手の馬さんと一緒に歩いて食事にでかけることになりました。
大衆的な食堂です。
麻婆豆腐などの炒めものでご飯をいただきました。
中国三大石窟「莫高窟」
さあ、莫高窟に行きましょう。
莫高窟の入口近くある仏塔です。いまあらためて見ると、チベット仏教の寺院にも「白塔」と言って亡くなった高僧を葬った塔が多く建っていますが、その白塔と似ている印象です。
チベット仏教と似ている、というよりも仏教のルーツであるインドにこのような様式のものが多いからなのだと推察します。
日本の仏教建築は木造が多いため、このように土を固めて造られたものの質感は日本人には新鮮に映ります。
「莫高窟(ばっこうくつ、マオガオクー)は五胡十六国時代(西暦304年 – 439年)頃に創建された仏教遺跡です。
山肌に仏像や壁画が掘られた「石窟」はシルクロードに多く点在していますが、この莫高窟は中国国内の石窟でもひときわ規模が大きく、中国三大石窟のひとつ(他は山西省大同の雲崗石窟、河南省洛陽の龍門石窟)に数えられています。
1987年にはユネスコ世界文化遺産に指定されました。
石窟内部は写真撮影禁止
2011年当時、莫高窟の敷地内は基本的に自由行動ができず、必ず専属のガイドさんが随行します。
石窟内に入る鍵はガイドさんが携行する規則のため、ガイドさんなしには仏像や壁画を鑑賞できないという形になっており、これは観光客に勝手に行動させないことで、もろくなった壁画や仏像に影響を及ぼさないようにする、というのがひとつあると思われます。
入口でガイドの張さんとしばしのお別れ、莫高窟専門の日本語ガイドの女性が着いてくれました。張さんもそうですが、日本からこんなに遠く離れた場所で日本語を学び、それを生業にしていることに頭が下がります。
莫高窟には700以上の洞窟が掘られ、壁画の総面積4.5万平米、石像の数2,400体が存在するそうです。
カメラのフラッシュが洞窟内の作品に影響があることから、洞窟内は写真撮影禁止でした。
敦煌文献
1900年、莫高窟の洞窟(17番目)の壁が崩れ落ちて隠し部屋が現れ、中から膨大な書物が発見されました。書物は様々な言語で書かれ、その内容は多岐に渡り、当時の考古学研究に大きな刺激を与えました。
発見された書物の中には西夏王朝(西暦1038年 – 1227年)の言葉で描かれたものがあり、これを題材にした井上靖の小説は、日本のシルクロード・ブームの一端を担いました。
莫高窟の端にある民家です。莫高窟の管理をしている方や、あるいは仏僧の方が住まう家屋と思われます。
敦煌の荒涼としたイメージに反して、当該地域周辺は祁連(きれん、チーリェン)山脈の雪解け水が豊富に流れ込み、このように水量豊かな水路が多く、ブドウなど果物の栽培が盛んだそうです。
莫高窟の名を冠したワインの生産でも有名です。
次回、「沙州市場」でロバ肉の麺を食います。