2013年3月16日から20日の日程で、新疆ウイグル自治区のウルムチ、カシュガル、タシュクルガンを訪れました。
前回はカシュガルを出発、カラコルム・ハイウェイをひた走り、崑崙山脈のふもとや白沙湖を通過しました。
西域の小さな街・タシュクルガン
タシュクルガン・タジク自治県
3月18日の15時50分、「タシュクルガン・タジク自治県にようこそ」という看板の場所で停車。
道と電線以外は何もない見渡す限りの荒野です。
バイクにニケツでやってきたカップルが記念写真撮影。こんなに寒いところをバイクで走るのは大変だと思いますが、愛の力があれば問題はありません。
タジキスタンとの国境
16時半、タジキスタンとの国境のイミグレーション施設「卡拉苏(カラス)口岸」を通過しました。「口岸(コウアン)」とは港の意味です。
ここからタジキスタンと中国を行き来できるみたいです。いつか新疆より西へも行ってみたいですね。
途中、トイレ休憩します。
トイレはどこか?
トイレはこの広大な荒野です、、、
タシュクルガン鎮をブラつく
18時、タシュクルガン鎮の街に到着。標高約3,000メートル。寒いです。
ホテルにチェックインします。
タシュクルガン鎮について、wikiの説明を引用します。
“https://ja.wikipedia.org/wiki/タシュクルガン鎮” から引用
タシュクルガンはシルクロードの中継地として長い歴史を持つ。 北にはカシュガル、東にはカルギリク、西にはバダフシャーンとワハーン、南西にはチトラルとフンザと繋がっている。『漢書』と『後漢書』によると、約2000年前の漢代にはタシュクルガンは蒲犁(Puli)王国の中心地だった。 後にVarshadehと呼ばれるようになった。 『魏略』によると、タシュクルガンには満犁(Manli)王国が存在した。 クラウディオス・プトレマイオスは、「タシュクルガンは石の塔を表し、ヨーロッパと中国の中間地点である」と述べた。 しかし他にも3カ所中間地点の候補となる「石の塔」が存在する。
数世紀後、パミール高原サリコル(色勒庫爾、Sarikol)王国の首都が置かれた。後にペルシア帝国の「朅盤陀(Khabandha)」になった。
500年頃、バダフシャーンからホータン王国に向かう宋雲が通過した。
649年頃、同様に玄奘三蔵が通過した。
元時代には、町の北東部に王妃城と呼ばれる要塞が有った。火寺(英語版)遺跡は要塞の近くに有った。
20世紀初頭に訪れたオーレル・スタインは、タシュクルガンが過去の記録の通りに残っていると述べた。
かの三蔵法師も立ち寄った街だそうです。
ぬおお、道路を牛が闊歩している!
ちょうど中学校の下校時刻みたいです。
次回、石頭城跡を訪ねます。