2023年4月、日帰りで愛知県設楽郡にある武田信玄と馬場信春のお墓と新城市の長篠古戦場を見学しに行ってきました。
今回の日帰り旅の行程は以下の通り。途中色んな場所に寄り道しています。
- 午前:名古屋市からレンタカーで下道で豊田市、岡崎市などを経由して設楽郡方面へ。福田寺にて武田信玄と馬場信春のお墓を見学。
- 午後:設楽郡を南下。新城の長篠城址史跡保存館と設楽原歴史資料館を見学し、帰路につく。
武田信玄と馬場信春のお墓を詣でる
軽のレンタカーで奥三河を疾走
午前9時、ガッツレンタカー某店にてお借りしたレンタカーで出発、日進、東郷町、みよし町、豊田、岡崎を経由し、奥三河は北設楽郡に向かいました。
途中、道を間違えたり、通行止めがあってだいぶ迂回をさせられたりだもんでぇ、時間かかってしまいましたぁ(三河弁?)。
正午過ぎ、「道の駅 したら」に到着。
道の駅の脇を流れるのは豊川です。
武田信玄のお墓がどこか分からない
12時半、設楽町役場近くに到着。
Googleの地図に頼ってばかりいたもんでぇ、迷ってしまいました。細かいところで頼りになりません。まあしょうがない、無料で使えてるわけで。
丘の上に来てしまったもんで、おかげで設楽町を全貌できました。
そばの一よし
とりあえず飯にするかということで、町役場近くのおそば屋さんに入りました。
食事中、調べ直したらこの付近にある「福田寺(ふくでんじ)」の境内奥に信玄公と側近の馬場信春のお墓があるらしいことが分かりました。
調査の詰めが甘かったです。ほんの数分の調べを惜しんで1時間無駄にしました。信玄公に申し訳ない。
1402年開山の古刹「福田寺」
13時半、福田寺にやって来ました。
福田寺は臨済宗妙心寺派、1402年開山という古いお寺です。
仏殿に向かって左側の奥に、信玄公の塚があります。
仏殿の賽銭箱にお賽銭を投じ、手を合わせてから奥に向かいます。
福田寺の記録には信玄公と思しき人物を埋葬したとの記録があるそうです。
「自分の死を三年隠せ」と遺言した信玄公。他にも信玄公のお墓とされる場所にはどれも一定の根拠があり、このミステリアスな謎がいつか解き明かされる時は来るのでしょうか。
信玄公のお墓に手を合わせたあと、馬場信春のお墓(供養塔)に手を合わせます。
馬場信春は信玄公の死後、跡継ぎの勝頼に仕え、1576年の「長篠・設楽原の戦い」で織田・徳川連合軍に敗れて敗走する武田軍の殿軍を務め、命を落としました。
これからその「長篠・設楽原の戦い」の古戦場に向かいます。