華清池
唐の玄宗皇帝と楊貴妃が度々保養に訪れたと言われる「華清池(ホワチンチー)」。現在では当時の面影を再現するように建物や池が整備されています。また、湧き出る温泉を利用した入浴施設もあり、ここの温泉に浸かればあなたも美しくなるかもしれません?
華清池の歴史
当地に温泉が湧き出る事は秦や漢の時代から知られており、唐の第二代皇帝「太宗」はこの地に豪華な保養施設を建設することを命じました。
第六代皇帝「玄宗」はその在位の前半こそ善政を敷き唐代の繁栄の絶頂期を実現しましたが(開元の治)、楊貴妃と出会ってからはすっかり骨抜きにされ、政務を放っぽりだすようになりました。
皇帝のいなくなった宮廷では権力闘争が発生し、最終的に玄宗と楊貴妃は反乱(安史の乱)により長安の都を追われ、その道すがら、随行の兵士たちにより楊貴妃は殺害されました。
反乱が収まった後、玄宗は長安に戻りましたが、死ぬまで軟禁生活を強いられました。
玄宗は楊貴妃をこの華清池に留めおき、秋から冬の間は華清池に滞在し、春になってから長安の都に戻るという習慣となっていました。
唐代の詩人「白居易」は玄宗と楊貴妃をモデルにした「長恨歌」という長編の漢詩を詠んでいます。その中で楊貴妃が湯浴みをするシーンが登場し、その舞台がこの華清池というわけです。
また、華清池の裏にそびえる山「骊山(リーシャン)」では国共内戦時に逃走した蒋介石を追って共産党軍と国民党軍が銃撃戦が行われるなど、近代中国史上の重要局面である「西安事変」の舞台にもなりました。
華清池の場所
華清池は「兵馬俑」と同じく西安の東、西安市临潼(リントン)区にあります。
兵馬俑と一緒に観光するのが一般的でしょう。
訪問記
この訪問記は2009年に華清池を訪れた時のものです。
華清池の駐車場兼入場券売り場。
これが華清池。向こうに見える山は「骊山(リーシャン)」です。
確かにこれが一個人の所有地であれば大変オツですね。
おまけにかたわらに美女もいるのだとすれば。
そんなことを考えていたらこんな人たちが。
夜に行われるナイトショーの設営の準備の方々です。
玄宗皇帝と楊貴妃の悲哀を描いたナイトショーは定評があり、安くないチケットもよい売れ行きとのことでした。
ご興味のある方は、西安でなく、この临潼区に宿を取った方がよいでしょう。
骊山はロープウェイでも登れます。
饗宴を描いた壁画。
こんな所で毎日夕暮れにビールでも飲んで過ごしたいものですね。
温泉施設です。楊貴妃も入ったのかな?
周辺で出土した資料の展示ブースです。
ここには毛沢東が著したと言われる文の拓本があります。
途中で終わっているのは多忙だったからということですが、本当かね、、、
西安事変の舞台となった場所らしいです。
蒋介石はこの辺りまで逃げ込み、最後捕まったようです。
最後にまたお風呂。
体はどこで洗うのでしょうか?また、当時石鹸はあったのでしょうか?
日本の風習とは色々異なりがあるのでしょうね。
写真には残しておりませんが、一般の来場者も入浴できる施設があります。
わたしは入っておりませんのでどんな感じなのかわかりませんが、楊貴妃の美しさにあやかりたい方はお試しになってはいかがでしょうか?
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