2018年12月30日から2019年1月1日にかけて、山西省の臨汾市と運城市を旅しました。
臨汾(临汾:リンフェン)は伝説上の古代中国の皇帝「堯(ぎょう)」の故郷、運城(运城:ユンチャン)は三国志に登場する関羽の故郷です。
三国志は西暦180年から280年くらいの、日本では卑弥呼の時代で、「堯(ぎょう)」に至っては実在したかどうか分からない、紀元前何千年とか、そのくらい大昔です。
今回の旅は、気の遠くなる太古の大昔に思いをめぐらせる旅となりました。
以下に山西省の位置、および臨汾と運城の位置をそれぞれ示します。
山西省のほぼ真ん中に省都太原(タイユエン)があり、今回訪れた臨汾、運城は太原の南方にあります。
特に運城は太原よりも陝西省の省都西安に近く、文化的にも西安からの影響の方が大きいことが考えられます。例えば、太原に出るより西安に出て仕事を探す、みたいな事です。
臨汾の寺社仏閣を訪ねる
1日目 早朝の西安北駅
12月30日の午前7時前、西安北駅にやってきました。
中国の12月末は日本ほど忙しなくなく、元旦の1月1日を含んだ3連休のみとなります。あくまで休暇の本番は1月末くらいにある旧正月になります。
ですので、今日の鉄道駅もそれほどの混雑は感じられません。
7時33分発車の高速鉄道「D2502」に乗車しました。眠い。
とは言っても、車内はほぼ満席でした。
臨汾は寒い
9時40分に臨汾西駅に到着。
臨汾西駅。西安よりもかなり北なので当たり前ですが、寒いです。
10時半、路線バスを乗り継いで「城北バスターミナル」に到着しました。
中心街ではないのか、素朴な古い街並みです。
またバスに乗ります。最初の目的地は「広勝寺(广胜寺:グアンシャンスー)」です。
牛肉丸子麺を食う
12時前、広勝寺入口に到着しました。参拝する前に飯にしましょう!寒い。
この辺りは、肉団子(肉丸子:ロウワンズ)のスープが名物らしいです。その名前を冠した麺をいただきます。熱々のスープが寒い身体を温めほぐしてくれます。肉団子もやさしい味でうまいです。
この麺は小麦粉を打って延ばしたものではなく、こねて塊にしたものを専用の器具に入れて、ところてんのように小さい穴から押し出して作る麺と思われます。
食後、広勝寺に歩いて向かいます。
入口とは名ばかり、けっこう歩かされます。
かつてこの地域で大きな地震があったようです。碑が建っています。
地震大国日本から来た者としてシンパシーを感じます。
広勝寺は後漢に創建
30分ほど歩いて、広勝寺に到着しました。上寺と下寺があるらしく、ここは上寺のようです。
やあ、素晴らしい塔ですね。遠くから見ても歴史のあるものだと感じさせます。
広勝寺の創建はなんと西暦147年、後漢の時代であります。三国志より古い。当初は「倶盧舎寺(ジュールーシャースー)」「育王塔院(ユーワンターユエン)」などと呼ばれ、唐代に現在の名前に改められました。
元代、清代と2度の大きな震災に見舞われたものの、その度に再建し現在に至ります。
飛虹塔
この塔は「飛虹塔(飞虹塔:フェイホンター)」と呼ばれ、高さ47.31メートル、13階建てで、八角形をしています。
この塔を特別なものにしている色鮮やかさは、特殊な釉薬を使って作られた「瑠璃瓦」を使って装飾されていることによるもので、壁面にも細かな仏像の彫刻がなされています。
創建は唐代の769年で、明代の1515年から1527年にかけて現在の高さまで増築が重ねられ、1622年に瑠璃瓦の装飾が施されました。
ヒェー、これはすごいもんですね。
後でわかったのですが、塔は10階まで上れるらしいです。残念。
仏像も見ごたえがある
お堂の中にある仏像の数々も歴史を感じさせるもので、ため息がでます。
下寺に向かう
いま参拝をしたのが広勝寺の「上寺」で、ここは山の山頂にあり、これから少し下って「下寺」に向かいます。
いくらするんでしょうね。
下寺にはかつて元代に製作されたとされる壁画があったのですが、盗難に合い、現在はアメリカの美術館で展示されているそうです。
どの建物や仏像もたいへん古いであろうことが見て取れ、周囲のひなびた雰囲気とも相まって、悠久の歴史に思いが馳せます。
13時半ころ広勝寺の下寺を後にし、これから臨汾市内に戻ります。
次回は「堯廟(尧庙:ヤオミャオ)」を訪ねます。