2018年12月30日から2019年1月1日にかけて、山西省の臨汾市と運城市を旅しました。
前回は臨汾市から運城市に移動し、運城市郊外にある「司馬温公祠」を訪れました。
中国神話の君主の廟 舜帝陵
舜帝陵へ
14時半、夏県の食堂で刀削麺をいただいた後、バスで「市职业技术学院南(市職業学院南)」停留所経由で「舜帝陵」に向かいました。
16時、「舜帝陵(シュンディーリン)」に到着しました。
「舜」は古代中国の神話上の君主のひとりです。
昨日訪れた「堯廟」に祀られている堯は君主の座を「禅譲」し、その権力を舜に譲り渡しました。
み、道が長い、、、向こうが見えません、、、
何か白いものが見えます。おそらく舜の像でしょう。
舜帝陵を参拝する
「舜帝陵(シュンディーリン)」は舜の次の君主である「禹(う)」の時代に塚として存在していたものが、唐代の西暦738年に陵墓として整えられたのが始めとされています。
まあ、禹の時代から唐代まで2,000年(?)以上経過しているわけで、本当にここに舜が眠っているかはむつかしいところですが、その真偽はあまり問題ではないと考えています。
大事なことは長い年月変わらずに(権力の介在もあったのでしょうが)この土地を守っていた人々があり、それを尊重する習慣、風俗、文化があったことなのだと思います。
この倒れかかっている木は樹齢1千年とされています。
舜の陵墓
舜の陵墓です。私も手を合わせます。
関帝廟
舜帝陵の傍らには関帝廟もあります。関羽を祀った廟です。
関羽の一生を綴った絵もあり、さすが関羽の故郷といった感じです。一部を紹介します。
劉備、張飛とともに呂布と争うシーン。
官渡の戦いで顔良と文醜を討ち取るシーン。
劉備が三顧の礼で諸葛孔明を迎えるシーン。
黄忠と争うシーン。その後2人は同僚になりますが、関羽は黄忠を老いぼれ呼ばわりします(笑)。
矢傷を受けた腕を華陀に治療させながら馬良と囲碁に興じるシーン。たらいを掲げている使用人が涙ぐましい。
「順親協帝」と額が掲げられています(右から読むでいいですよね?自信ないです、、、)。
舜は親孝行で知られ、薄情な父親や継母、兄弟にもめげずに孝行を貫いたとされており、この点でも現代においてお手本となっています。
舜の両脇にいる女性はともに堯が嫁がせた2人の娘です。
17時、これから運城市街に戻り、宿にチェックインします。
忘れかけていましたが今日は12月31日。日本では大晦日です。
次回、運城の街で飲ろうぜ。です。