2018年12月30日から2019年1月1日にかけて、山西省の臨汾市と運城市を旅しました。
前回は臨汾市街にある名刹「大雲寺」を訪れ、夜ホテルにチェックインして一泊しました。
関羽の故郷に降り立つ
二日目 臨汾西駅に向かう
12月31日の午前8時に起床、8時半に宿をチェックアウトしました。寒い、、、
昨夜迷ったこの場所はいま見るとこんな感じの場所でした。夜だと何も見えないので印象が全く違います。昨日は本当に心細かった、、、寒かったし。
ここは将棋とか囲碁とかお茶とかするレジャー施設みたいです。
臨汾市街で朝飯を食う
9時頃、バスで鼓楼の辺りまでやってきました。適当なところで朝食をいただきましょう。
丸子汤(ワンズタン)。肉団子のスープです。
捞豆腐(ラオドウフ)と油条(ヨウティヤオ)。豆腐にとろみのついたスープをかけたものと揚げパンです。温まります。
公園で太極拳をする人々。この寒いのに頭が下がります、、、
10時、バスで臨汾西駅にやってきました。
これから高速鉄道で運城市に向かいます。
さようなら臨汾。
11時5分、運城北駅に到着しました。
駅前の広場。関羽の雄々しい銅像が鎮座しています。
司馬温公祠
駅前にたむろしていた白タクのおじさんに話しかけ、「司馬温公祠(司马温公祠:スーマーウェンゴンツー)」までの運転を頼みました。
12時、司馬温公祠に到着しました。
司馬温公祠は「資治通鑑」を著した北宋時代の政治家「司馬光」を祀った祠です。
司馬光(1019-1086)はここ運城の出身で、「温国公」の爵位を送られたことから「司馬温公」とも呼ばれました。
司馬光さんのお墓に続きます。
このようにこんもり山になっているのがお墓です。この上に登る人が多いのか、芝が抜けている部分があります、、、
司馬池さんは司馬光さんのお父さんです。お父さんも官僚でしたので、このようにお墓があります。
司馬旦さんは司馬光さんのお兄さんです。人格者として知られ、旦さんの子どもは光さんの養子(司馬康さん)となっています。康さんは司馬光さんの助手として資治通鑑の編集に携わっています。
司馬光の紹介と功績が展示されており、資治通鑑がどのような書物で、後世にどのように影響を与えたか、などの展示もされています。
司馬光さんにまつわる人々を祀っています。
ふと思いましたが、訪問当時は建物のことまで注意が及びませんでしたが、これらの建物のつくりは北宋風のものなんでしょうか。
司馬温公祠の周囲は一面の畑です。これはぶどう畑かな?
夏県に移動する
さて、ここに来る時は白タクで連れてきてもらいましたが、運ちゃんは待ってくれませんでしたので(料金交渉が折り合わなかった)、どうやって戻ろうかと思いながらフラフラしているとバス停を見つけたので、しばらく待つことにしました。
13時少し前、バスが来ました。
夏県の県城行きのバスだったので県城までやってきました。市である運城や臨汾の市街よりも田舎っぽい感じの素朴な街なみです。
刀削麺を食う
時刻は14時ちょっと前、遅くなりましたが昼飯です。
山西省といえばコレ、刀削麺です。
トマトと卵の炒めを和えたもので、優しい味の汁なし麺でした。
次回、舜帝陵を訪ねます。