2012年9月9日から17日の期間で、中国の河南省と北京を旅行しました。
前回は景山公園から天安門広場、中山公園、王府井を歩きました。
魯迅博物館と天壇公園に行く
北京西駅
9月15日の午前9時、今日はこれから「魯迅博物館」と世界遺産「天壇公園」に行きます。
北京に来てからよく見かけるこのお店で朝食に惣菜パンを買ってみました。発音すると「ウェイドゥオメイ」ですが、「あじたみ」と日本語読みした方が親しみが湧きます(笑)。
濃い味付けのチキンのパンとベーコンチーズのパンという肉肉しいパンをひとつずつ買いました。どちらも日本では馴染みのない香辛料が使われている風味がしました。美味しくいただけました。
向こうに見えるでっかい建物は北京西駅です。屋上の中国建築の建物には何があるんでしょうか。
立派な建物ですが、じつはなぜ北京西駅までやって来たのかよく覚えていません。本来の目的地である「魯迅博物館」にはかなり離れていますし、特にこの駅舎を見たかったわけではなかったと思うのですが、何だったかな、、、
北京魯迅博物館
環状2号線の西側「西二环(シーアーフアン)」にある阜成門(フーチャンメン)を東に入ったところに「北京魯迅博物館」があります。魯迅がもともと住んでいた邸宅が使用されています。
中国の作家はほとんど知りませんが、魯迅は中学か高校の国語の教科書に載っていたこともあり、長くないし読みやすいので、図書館で何冊か摘み読みなぞして、少なからず愛着があります。
私が初めて西安に行ったときに感じた埃っぽい乾燥した風土や人と車の多さが、魯迅の小説の持つ寒々しさや殺伐とした雰囲気を思い起こさせたことを覚えています。
閑静で落ち着いた雰囲気のある場所です。受付の女性にパスポートを見せると、日本語の心得があるらしく、笑顔で「入場無料!」と日本語で返ってきました。
昨日の王府井で遭遇した怪しい女性とは一線を画する知性に裏付けされたユーモアを感じました。さすが魯迅博物館です。
(※館内の展示物は撮影していません)
藤野先生の銅像もありました。
炸醤麺を食おう
ガイドブックに出ていた炸醤麺のお店が近くにあるので訪ねてみました。お店の名前は忘れてしまいました。
炸醤麺は北京の名物ですね。
麺と味噌ダレが別々に出てきました。
じっくりかき混ぜていただきます。なかなか美味しかったです。
天壇公園
天壇公園にやって来ました。「北京の皇帝の廟壇」としてユネスコ世界文化遺産に指定されています。
道が長い、、、
入口まで遠い、、、
みんな集まって何か演劇の練習をしていました。
天壇は1420年に明の永楽帝が造りました。
皇帝が自ら祭壇で豊作や雨乞いの祈りを捧げる神聖な場所です。
どこかの外国の偉い人が来ていたのか、恰幅のよい男性が通訳らしき女性の話を聞きながら歩いています。
白い半袖の男性たちがスーツの男性を取り囲むように周囲ににらみを利かせており、ものものしい雰囲気を発散していました。
今あらためて見るに、我ながらよく写真撮ったなと思います。後ろのおっさんがこっち見てるね(笑)。
円形の祭壇、「圜丘壇(えんきゅうだん、ユエンチョウタン)」です。
ひっきりなしに観光客がやってきます。
ここは歴代の皇帝の位牌や祭祀に使用する道具を収める「皇穹宇(こうきゅうう、フアンチョウウ)」です。
ウェー、すごい行列だ。
中の見学は断念。ラーメン二郎の行列には並ぶんですけどね(笑)。
祈念門をくぐって「祈年殿(きねんでん、チーニェンディエン)」に向かいます。
売店。
階段を上ろうとしたら戻る人たちがウァーっと出てきました。
これが祈年殿です。
wikiの説明を引用させていただきます。
“https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%A3%87″ から引用
祈年殿
天壇でもっとも有名とされる建造物の一つで、天安門や紫禁城とともに北京のシンボル的存在とされる。祈年殿では皇帝が正月の上辛五穀豊穣を祈りを捧げた。祈年殿は直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる祭壇で現存する中国最大の祭壇。中国建築史上重要な建造物とされる。木造で宝頂は金メッキがなされている。屋根は瑠璃瓦葺きの三層になっており、明の時代には上から青・黄・緑となっていたが1751年にすべて青色に変えられた。1889年落雷により焼失したが、1896年に再建されている。
人が多いので中を覗くのは断念。
写真だけではなかなかお伝えしにくいですが、天壇公園はとにかく広く、魯迅博物館含めると今日はとりわけ長距離を歩きました。疲れた。
何しろ向こう側が見えないんですからね。
北京の夕暮れです。
明日は北京観光最終日。これまた世界遺産「頤和園」を見学します。