2012年9月9日から17日の期間で、中国の河南省と北京を旅行しました。
前回は魯迅博物館、天壇公園を歩きました。
頤和園の広さにビビる
毛主席紀念堂で毛主席のご遺体に拝礼する
9月16日、今日で中国観光も終了、明日日本に帰国します。
確かこの日は早起きをして一昨日訪れた天安門広場を再訪、「毛主席紀念堂」で毛沢東の冷凍保存された遺体を拝礼しに行きました。
記憶がうる覚えなのは、写真撮影以外の記録を残していなかったためです。
現在は旅行に出た際には、
- 何時にどこを出発 and どこに到着した
- 何時にどこで何を食べた
- 何時にどこで何を買った
- 出費があった場合は料金を併記すること
以上のことをスマホのメモ帳にその都度記載することにしています。
炸醤麺がうまい
今日は世界遺産「頤和園(いわえん、イーハーユエン)」に行きます。
午前11時前に到着、入口近くにある食堂で炸醤麺をいただきました。
昨日訪れたレストランでいただいた炸醤麺もよかったですが、路傍のテーブルで食べるざっかけない食事の方が、私には落ち着いていただけます。
ピリ辛でうまかったです。
頤和園
頤和園の発祥は金代(1153年頃)にさかのぼります。当時は女真族(満州族の祖先)が燕京(現在の北京地域)を支配しており、貯水池として開発されたのが始まりです。
以下、wikiの文章を引用させていただきます。
“https://ja.wikipedia.org/wiki/頤和園” から引用
頤和園が現在の規模になったのは清朝6代皇帝乾隆帝の時代で、当時は「清漪園」と呼ばれていた。1750年(乾隆15年)、乾隆帝は母の崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝い、西湖の西に高水湖及び養水湖を掘削し拡張した。乾隆帝は3つの湖を合わせて「昆明湖」と命名した。これは漢の時代に漢武帝が昆明池を掘削して水軍の訓練を行った故事に因む。また、湖の掘削で発生した土砂を利用して甕山を拡大し「万寿山」と改称した。1764年(乾隆29年)、洋銀480余万両の費用を費やした清漪園が概ね完成した。湖の水は農業用水としても利用された。当時の清漪園は居住及び政務施設が乏しかったため乾隆帝の行幸は日帰りに限られていた。
道光年間以降は国力の衰退に伴い清漪園は次第に荒廃し、庭園は雑草に覆われるようになった。1860年(咸豊10年)、アロー戦争で清漪園と隣の円明園は戦場となり、円明園の西洋風宮殿が破壊された。
1875年に即位した光緒帝はわずか3歳で、実権は母の姉にあたる西太后が掌握した。西太后は自身の居所である清漪園の再建に莫大な費用をかけた。造営は1884年から1895年にかけて行われ、完成後「頤和園」と改称された。しかし、この経費は北洋艦隊を整備する海軍予算を総理海軍事務衙門大臣であった醇親王奕譞を通して流用したもので、清朝の軍備増強に大きく影響し、日清戦争敗北の原因の1つになったと言われている。
仁寿殿
人が多いです。天壇公園と同様、欧米人が多いですね。
レストラン。
昆明池
昆明池は現在の西安郊外にある、前漢武帝が造った「昆明池(クンミンチー)」に由来しています。
でかいっす。
文昌閣
文昌閣は昆明池の湖岸にあります。
十七孔橋
昆明池の離れ小島にかかる橋です。
金牛
かつてはこの牛の銅像は金箔が施されていたそうですが、1860年のアロー戦争で英仏軍による侵攻の際に金箔は剥がされてしまいました。
長廊
全長728メートルあるとされる廊下には約14,000点に渡る様々な画が描かれています。
休憩する人でいっぱいで、ゆっくり画を見ながら、というわけにはいかないですね。
佛香閣
高台に建っているのが「佛香閣(フォーシャンガー)」です。高さ41メートル、八角形三層の構造の楼閣は、頤和園のシンボルのひとつでしょう。
模様と色彩がじつに鮮やかで見ていて飽きないです。
おばさん、わしも疲れたよ。
昆明池が見渡せます。ここまで登ってきた甲斐がありました。
小さな仏像を壁に無数にはめ込んでいるのはチベット仏教の寺院に多くある印象があります。
蘇州街
蘇州街は蘇州の街並みに似せた造りをしたエリアです。私は蘇州に行ったことはありませんが、東洋のベニスとか言われている場所のようですので、こんな感じなのでしょう。
喫茶室やレストランが揃っている感じです。
おじいさんが書を売っています。雰囲気が出ています。
頤和園に入場して4時間が経ちました。これでもざっくり見て周ったに過ぎず、しっかり見て周るには1日では足りないのではないでしょうか。足腰がもちません。
もと来た道を戻るようにして帰りましょう。
さっき遠くに見えた白塔も見学することにしました。
河南省洛陽の龍門石窟から少林寺、関林、そして北京と、私には長旅となりました。
体力的な疲れは寝れば取れますが、たくさん撮った写真とともに、旅の思い出をいつか何らかの形でアウトプットしたい、という思いがありました。
散漫な写真ばかりで有益な情報がまったくないことをお詫び申し上げます。
にも関わらず、ここまで読んでいただき、大変感謝!
ありがとうございました!