2016年12月、1泊2日で陝西省の韓城市に行ってきました。
- 1日目:朝、西安駅から鉄道で韓城駅に移動。司馬遷墓、韓城古城、文廟を見学
- 2日目:党家村、大禹庙を見学し、鉄道で西安駅に戻る
当記事はその初回となります。よろしくお願いいたします。
「史記」司馬遷の故郷・韓城
西安から鉄道で韓城へ
12月17日の午前7時、西安駅にやって来ました。冬なので7時でもまだ真っ暗です。
これから8時発の列車「K8240」で陝西省の東端の街のひとつ「韓城(かんじょう、ハンチャン)」に向かいます。
韓城は西安の北東220㌔くらいの場所にあります。
黄河を挟んで山西省との省境にある街です。
2018年の年末〜2019年の年始で訪れた山西省の運城と臨汾との位置関係は下のような感じです。
11時17分、韓城駅に到着しました。西安駅に比べるとはるかに小さい駅舎です。
駅前の小さな商店街にある適当な食堂に入って「糊卜(フーボー)」をチョイスしました。
糊卜は西安では聞き慣れないメニューだったので興味本位で注文しましたが、出てきたのは汁ありの麺です。
麺はボソボソとしてコシがなく、おそらく西安で「烩饼(ホイビン)」と呼ばれるものと同じかそれに近いものだと思います。
烩饼は肉夹馍(ロウジアモ)の素焼きのパン(饼:ビン、馍:モ)を細切りにして蒸して柔らかくしたものを麺のごとく用いたものです。
カレー屋さんで出てくるナンを細切りにして茹でたものを想像していただけるとよいと思います。
味気ない食感で、正直「うまい!」とは言い難いですが、スープはよく味が出ているし、よく言えば素朴な味わいで、気づいたら完食しておりました。
司馬遷墓
韓城駅の近くに予約しておいた宿にチェックインし、ひと休みしてから路線バスで「司馬遷墓」に向かいました。
13時半、司馬遷(しばせん、スーマーチェン)墓近くの公園に到着しました。
司馬遷墓を一大観光地化すべく、周囲を再開発し公園化している途中のようです。
司馬遷の像が立っていますが、逆光でよく分かりません(笑)。
司馬遷墓は小山の頂上にあります。
途中にある司馬遷祠です。
司馬遷(しばせん、スーマーチェン:紀元前145/135年?–紀元前87/86年?)は前漢武帝の時代の官僚で、「史記」の著者として知られています。
北方民族の匈奴との激戦で奮闘するも敗れて投降した「李陵(りりょう、リーリン:生年不詳-紀元前74年)」を弁護する発言をしたかどで武帝の逆鱗に触れ、宮刑(男性器を切除される)を受けてしまいました。
北方謙三の小説「史記(武帝紀)」についての記事に司馬遷のことを少し書きましたので、よろしければご覧ください(小説のネタバレがありますのでご注意ください)。
黄土の台地にそびえる高速道路の陸橋が見えます。高い。
頂上に到着しました。司馬遷のお墓です。
司馬遷のお墓に手を合わせたあと、しばらくここで休憩します。疲れた。
ちょうどよいタイミングで観光客も少なく、時間がゆっくりと流れるような心持ちです。静かなところです。
戻ります。
次回、韓城の古い街並みを訪ねます。