2018年12月30日から2019年1月1日にかけて、山西省の臨汾市と運城市を旅しました。
前回は西安から臨汾に移動し、郊外にある名刹「広勝寺」を訪ねました。
中国神話の君主の廟
タクシーで堯廟へ
15時半、臨汾市内の城北バスターミナルに戻ってきました。次の目的地である「堯廟(ぎょうびょう、ヤオミャオ)」行きのバスに乗ろうとしましたが、ちょっと時間が押していることもあり、タクシーで向かうことにしました。
「華門(华门:フアメン)」が見えてきました。臨汾のランドマーク、かどうかは知りませんが、とにかく大きな門です。
この華門の後方に「堯廟」があります。
16時に堯廟に到着しました。
堯廟は、言わば中華のルーツたる英雄のひとりを祀った場所であります。
堯廟を参拝する
「堯(ぎょう、尧:ヤオ)」は中国神話上の君主で、暦を作ったことで知られています。三皇五帝の一人に数えられ、禅譲をした舜(しゅん)とともに「堯舜」と並び称され、崇められています。
堯はいつ頃の人物かについては、舜から禅譲を受けた禹が夏王朝を興したとされており、諸説ありますが、だいたい紀元前2000年〜1600年頃とされていますので、堯、舜はそれよりちょっと前と言えそうです。
ちなみに、「三皇五帝」とは古代中国の神話に登場する八人の君主で、秦の始皇帝は「おれは三皇五帝よりも尊い存在である」として、自らを「皇帝」と称しました。このことから、三皇五帝は皇帝という言葉の語源となっています。
したがって、今回の旅の記事のタイトルに「古代中国の皇帝」と入れていますが、これは誤った表現で、始皇帝以前の君主は単に「君主」とか「帝王」とか「王様」と呼ぶのが適切かと思いますが、「皇帝」のが収まりがいいと思ったので、、、
注:「(堯、舜の祖とされる黄帝は)「始めは皇帝と称されていたが後に黄帝と改められた」という史書もあるようです(皇帝と黄帝は発音が同じ)。
堯はこの臨汾近郊の豪族の長であったとされます。堯廟はそんな堯の故郷であるこの地に、西晋の時代(西暦265年-316年)に創建されました。
臨汾市の東側に「汾河(フェンハー)」という川が南北に流れており、堯廟は始め汾河の西側にあったそうですが、しばらくして川の東側に移され、唐代に街の中心地から南側にある現在の場所に改めて移されました。
虞舜殿と大禹殿
堯廟には堯の次とその次の君主である舜(しゅん)、禹(う)も祀られています。
舜は堯と並んで儒教では聖人として神聖視されています。
禹は大規模な治水事業を成功させたことで知られ、日本でも信仰の対象となっています。
過去様々な偉人が堯について唄われた詩が刻まれた壁。むちゃくちゃ長いです。
時刻は16時半。次は大雲寺に向かいます。