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文化的な午後を過ごした後ラーメンを食いに行く
2023年10月21日、愛知学院大学の日進キャンパスにて「歴史学科土曜セミナー」を聴講しました。
一般の人を対象に開催された講義です。テーマが面白そうだったので行ってみましたが、大変有意義な午後となりました。
詳細は以下のリンク先のPDFをご参照ください。
「中高生歓迎」と書いてますが、聴講者は実際のところ私を含め半分以上がおっさん・じいさんな感じでした(笑)。
講義の内容をざっくり箇条書きにします。備忘録的な、メモ程度のものとしてご覧ください。
孝明天皇と幕末政治:後藤致人教授
- 戊辰戦争は旧幕府軍(徳川慶喜側)と倒幕軍(天皇側・薩長連合)の戦い
- 倒幕軍が勝利し、明治天皇を中心とした治世が始まる
- 果たして旧幕府軍が勝利していたら封建制が維持されたか?
- 天皇を中心とした治世が始まるのは必然だったのではないか?
- 江戸時代後期には国内全体に少しずつ天皇に関心が向けられ始める雰囲気があった
- 閑院宮家の台頭
- 松平定信の大乗委任論・・・同時期にはヨーロッパでフランス革命が
- 国学の誕生、民衆系図、博徒、マタギ、白鳥伝説、鳴物停止令・・・
- ペリーの黒船来航以来、欧米の学問を学んだ人材が台頭
- 薩長だけでなく、幕府側も優秀な人材を多く抱えてた
- 蘭学、適塾、緒方洪庵、福沢諭吉、手塚治虫「陽だまりの樹」
- 孝明天皇は攘夷を強く主張→尊王は後付け
- 京都にて朝廷・幕府・雄藩で行政機関の再編実施→徳川将軍が京に出向
- 1862年:勅使関東下向
- 1863年:諸大名の上洛→攘夷体制の確立
- 薩長会津一橋公家間で権力闘争が本格化
- なお、薩摩は官位がなかったので天皇の近くに入り込めなかった
- 1864年:禁門の変
- 1867年:孝明天皇の崩御(暗殺説が根強いけど天然痘説が主流)
- 孝明天皇の側近失脚、長州びいきの公家が台頭
- 世の中はすでに天皇制の空気→天皇制のもとで誰が実権を握るか
- 1868年:戊辰戦争
- 徳川御三家の尾張や紀伊は倒幕側になびいた
- 幕府の海軍(榎本武揚)は健在だったので勝てる余地はあったけど、、、
- 京都と江戸の対決なはずなのに戦線は会津の方まで行っちゃった
- ∴ 以上から、幕府vs天皇の戦いではなかった
- 余談:薩長会津一橋公家間で闘争があったけど、大正天皇の息子たちがそれぞれの家と縁戚になったよ
近代日中仏教交流の軌跡ー水野梅暁と太虚をとおしてー:広中一成准教授
- 水野梅暁(1877 – 1949):日本の仏僧。農家の三男坊のため口減らしのために曹洞宗のお寺に養子にやられた
- 陸軍少佐根津一に師事し、中国大陸に渡る
- 上海の東亜同文書院(愛知大学の前身)で修行・・・中国語の習得など
- 清朝の衰退により仏教も中国国内で衰退→日本も明治期の廃仏毀釈で仏教の弾圧があった
- 小栗栖香頂:上海にて東本願寺上海別院を開設
- 清朝は日本の仏教に中国国内で布教権を与えなかった
- キリスト教は布教権があるのでやりたい放題・・・中国国内での利権獲得
- 大谷光瑞に出会った水野は曹洞宗から浄土真宗に宗旨変えする
- 太虚(1890 – 1947):中国人の仏僧。衰退しつつあった中国仏教の復興に身を投じる
- 水野と太虚は意気投合する
- アジア主義に傾倒する水野
- 辛亥革命
- 水野は革命派を支持・・・清朝政府は布教権を与えてくれないため
- だけど国民党政府も日本仏教の布教に冷たかった
- 一方、王一亭のような人物も・・・関東大震災の義援活動
- 満州事変の勃発
- 太虚は日本軍による満州事変を非難
- 水野と太虚の交流は断絶
- 布教権をもらえないので水野は満州に移動
- 水野は満州を拠点に仏教文化の遺物の蒐集に尽力
- 埼玉県飯能市の鳥居観音に水野の遺品が納められている
- 質疑コーナーの回答にて、水野が還俗しているとのこと(水野の人間性や中国での行動を考察するうえで重要な事実なので本編で触れてほしかった)
- 水野は仏教の布教を口実に中国での様々な利権を日本側にもたらしたかった感じ→ビジネスマン的側面が垣間見えるのではないか?
以上、2テーマとも大変貴重なお話でした。ありがとうございました。
セミナーが開催された「けやきテラス」
終了後、徒歩で「三代目 溝口屋」に向かい、ラーメンを食って帰りました。
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愛知学院大学 日進キャンパス:愛知県日進市岩崎町阿良池12 愛知学院大学 日進キャンパス