2016年11月、1泊2日で陝西省の延安市に行ってきました。
- 1日目:朝、西安駅から鉄道で延安駅に移動。棗園革命旧跡、楊家岭革命旧跡を見学
- 2日目:革命記念館、万佛寺、鳳凰山を見学し、鉄道で西安駅に戻る
当記事はその初回となります。よろしくお願いいたします。
中国共産党の聖地・延安
西安から鉄道で延安へ
11月5日の午前6時半に西安駅に到着、7時26分発K556の列車で延安に向かいます。
11時半、延安駅に到着しました。
延安は陝西省の省都西安市と比べれば街の規模は小さいですが、中国共産党の聖地とされる場所である一方、豊富な地下資源が採れることから工業都市としての顔も持っています。
“https://ja.wikipedia.org/wiki/延安市” から引用
1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、この期間中に毛沢東の党内主導権が確立したことから、共産革命の聖地とされる。
思うに、延安を観光で訪れる人々というのは、日本で例えるなら、太平洋戦争従軍者やそのご遺族の方々が東京の靖国神社に参拝しに来るというのに似ているのではないでしょうか。
例として挙げるには対極な関係にありそうな両者ですが、あながち遠からずなのでは、と考えます。
西安から延安までは約300㌔。列車で約4時間の道のりでした。
高速鉄道であれば半分の2時間で着きます。
駅を出ると「飯だ飯だ」とばかりに目に入った食堂へ。
「大肉饸饹(ダーロウ・ハーラー)」をチョイス。
饸饹(ハーラー)は麺の一種ですが、こねた小麦粉を伸ばしていくのではなく、ところてんのように穴のあいた器具に入れて逆から押し込んで穴から出して作る麺です。
なんとなくスープに味がなく、麺もボソボソ(製法由来なので多少のボソボソ感があるのは仕方ないですが)。
麺は完食しましたが、咳払いをしてひとりうなずきながら会計して店を出ました。
こういうこともあります。
棗園革命旧跡
14時50分、「棗園(ザオユエン)革命旧跡」にやって来ました。
棗は「ナツメ」です。日本ではあんまり見ない果物ですね。
1944年から1947年まで中国共産党中央社会部の拠点として使用されました。
主要な人物には居室があり、その室内を見学できるようになっています。
園内は現在はこのように広大な公園として、地元の人々の憩いの場として活用されています。
革命の聖地で記念撮影をするカップル。中国ならではのワンシーン。
「劉少奇(刘少奇:リョウシャオチー、りゅうしょうき)(西暦1898年 – 1969年)」は湖南省出身。
モスクワに留学して共産主義を学び、1921年に中国共産党に入党。国民党との闘争での地下活動や抗日戦争での功績により頭角を現しました。
中華人民共和国成立後、大躍進政策の失敗の責任をとって辞職した毛沢東の次の第2代国家主席となりましたが、権力奪回を狙う毛沢東が発動した文化大革命のごたごたに巻き込まれて失脚し、ひどい最期を迎えた人です。
「周恩来(ジョウエンライ、しゅうおんらい)(西暦1898年 – 1976年)」は江蘇省出身。
1917年に日本に留学して2年間遊学した後パリに渡って共産主義を学び、1924年に中国に帰国。
日本に留学経験があり、1972年の「日中共同声明」の際に田中角栄と乾杯している有名な写真などから、日本人からは比較的好意的に見られている人物かと思われます。
東京都千代田区、神保町にある「愛全公園」には「周恩来ここに学ぶ 東亞高等予備学校跡」という石碑が立っています。
ちなみに、この公園の近くに「ラーメン二郎神保町店」があります(笑)。
ワタシが二郎神保町店に最後に訪問したのはかれこれ10年くらい前になると思いますが、食後の腹ごなしに立ち寄ったところ、件の石碑を発見した次第です。
周恩来と奥さんの「鄧穎超(デンインチャオ、とうえいちょう)(西暦1904年 – 1992年)」。いい写真ですね。
「朱徳(ジューダー、しゅとく)(西暦1886年 – 1976年)」は四川省出身。
孫文の国民党で辛亥革命に参加し、軍人として活躍を見せるも国民党の方向性に疑問を抱き共産党へ鞍替え。
同じく農村出身の毛沢東と「農村で都市を包囲する」ゲリラ作戦を主導した、筋金入りの軍人。
毛沢東については説明する必要がありませんね。
「毛沢東(マオザードン、もうたくとう)(西暦1893年 – 1976年)」は湖南省出身。
農村に生まれ、「共産主義」の名のもとに農村ゲリラを統率し、知力、武力、政治、野望、あらゆる機会を自らへ引き寄せる力を天から与えられたカリスマ。
中華人民共和国を建国し、最高指導者として君臨し続けた、近現代世界史上の屈指の英傑、独裁者であります。
まさしくそれは、現在の中国の王朝を興した初代皇帝に他ならないでしょう。
楊家岭革命旧跡
15時、「楊家岭(ヤンジャーリン)革命旧跡」にやって来ました。棗園からバスで15分の場所にあります。
棗園が改修中の間、ここに党主要幹部が居住していました。
1945年4月23日から6月11日の期間で、この講堂において、中国共産党の「第7回全国代表大会」が開かれました。
講堂を出ると毛沢東が立っていました。
要は毛沢東のそっくりさんなのですが、記念撮影のためにこの辺りをウロウロしているのでしょう。
私と目が合うと毛首席はなぜか気まずそうに苦笑いしながら右手を軽く挙げました。
根が極度の小心者である私は、急なことで気が動転し「毛首席、いっしょに写真を撮りましょう」と声をかけられなかったことをたいへん後悔しています。
しかし何しろ毛首席ですからね、写真撮影にいくら取られたんでしょうかね。
革命記念館に向かいます。
革命記念館は間に合わず
16時過ぎ、革命記念館に到着しました。
革命記念館は16時で閉館でした。残念!また明日来ましょう。
延安市街に戻る道すがら、整備された公園を通りかかりましたが、こちらも革命に関する旧跡のようです。
宿に戻ってひと休みしてから、バスで繁華街の方に出てみました。
屋台街が出ていました。なかなかの人出です。
ちょっと混み過ぎの感があり、ひとりで気軽に座れるような場所が見当たらず、戻ることにしました。
適当にブラブラしていて見つけた店に入ることにしました。
羊肉面(ヤンロウ麺)。麺はまあまあですが、スープにやはり締まりがない感じが、、、土地柄なのだろうか、、、
口直しにビールを買って宿に戻り、寝酒して寝ました。
明日は今日行けなかった革命記念館を訪問してから、延安市内の旧跡を散策します。