2017年1月27日から2月1日の日程で、新疆ウイグル自治区のウルムチ、クチャ、トルファンを訪れました。
- 1日目:早朝、西安咸陽空港から飛行機でウルムチへ。深夜、仏教寺院に初詣に行く
- 2日目:ウルムチ空港から飛行機でクチャへ。クチャの街を散策
- 3日目:クチャ郊外のスバシ故城 、塩水溝、キジル千仏洞、クズルガハ烽火台を見学
- 4日目:クチャ近郊のクチャ王府、クチャ大寺、亀茲故城を見学し、夜、列車でトルファンへ
- 5日目:早朝にトルファンに到着。高昌故城、アスターナ古墳群、交河故城を見学
- 6日目:トルファン近郊の艾丁湖、苏公塔、ハサンさんの家、トルファン博物館を見学し、夕方、列車で西安へ帰る
前回のスバシ故城、塩水溝はこちら↓
クチャ郊外の世界遺産「キジル千仏洞」を訪ねる
鳩摩羅什の銅像に再び出会う
1月29日の12時40分、キジル千仏洞前に到着しました。
スバシ故城からは西に約85㌔。車で1時間半くらいの場所です。
キジル千仏洞(もしくは「キジル石窟」)も「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部として世界文化遺産に登録されています。
鳩摩羅什(くまらじゅう)の銅像です。
昨日クチャの街を散策しましたが、そこにも鳩摩羅什の銅像がありましたね。
鳩摩羅什(西暦344年 – 413年)はクチャ出身の仏僧で、多くの仏教の経典を漢語に翻訳したことで知られています。
訳経僧としての功績が認められたものに与えられる称号「三蔵」を持つ仏僧として、唐代の玄奘(西暦602年 – 664年)らと並ぶ「三蔵法師」様なのであります。
キジル千仏洞 ー 3世紀には開窟が始まった石窟群
それでは見学と参りましょう。
キジル千仏洞は3世紀から8世紀まで造窟が行われたとされています。中国に点在する石窟は古くても北魏時代(4世紀〜6世紀)のものが多いことからすると、キジル千仏洞は100年くらい古いようです。
なにしろ中国よりはるか西、「西域」と呼ばれる場所にある石窟ですからね。
入口を入ると、ウイグル族の女性が来て先導してくれます。
管理規則上、見学者には必ず随行者が着いて敷地内での自由行動ができないようになっているみたいです。
先導役のウイグル族の女性が各部屋の鍵を持っており、その都度開閉してくれます。
石窟の内部は残念ながら撮影不可。また、規則により全ての部屋を見学することはできません。
キジル千仏洞には総数236の部屋があるとのことですが、見学できたのはごくわずかでした。
印象としては、絢爛豪華な壁画や仏像は残っていないようです。かろうじて描かれているものの輪郭が分かるような状態で、ここに描かれているものを見て太古へのロマンに誘われるような感情を呼び起こすことは難しそうです。
近代にやって来た探検隊が敬意のかけらもなく荒らしていったことが一因となっているようです。
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/キジル石窟#研究史 より引用
20世紀の初めは中央アジアの探検が盛んであり、ドイツのグリュンヴェーデル(1906年)やル・コック(1913年、1914年)、日本の大谷探検隊(1909年、1913年)など、各国の研究者がキジル石窟に訪れて調査を行った。特にル・コックは石窟の壁画を大量に切り取ってベルリンに持ち帰り、民族学博物館に陳列した。これによってキジル石窟の貴重な壁画が破壊されたため、現在は無残な状態となっている。
これから「クズルガハ烽火台」に向かいます。